
中高層条例や指導要綱は、どの行政庁にありますが、制定された経緯はありますか?
日影規制や中高層条例が制定された背景にあった社会問題について知りたい!
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日影規制の法律成立時に、参議院から「相談の機関を作成に努めるように」という意見があった
昭和40年代に高層建築物が増加し、それに伴い日照紛争が大きな社会問題となっていた



この記事の最後に、これまで行政の現場で携わった経験から得た学びや気づきを紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。
この記事を書いた人


元政令市職員(行政庁) × 確認検査機関の経験者である一級建築士・建築基準適合判定資格者。
建築基準法を中心に、関連する行政法や民法の仕組みも含めて、横断的にわかりやすく解説しています。
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中高層条例や指導要綱がある理由は?





中高層条例や指導要綱は、どの行政庁に存在しています。
その制定にはどのような背景があったのでしょうか?



法律成立時、参議院からは以下の附帯決議が出されました
「建築基準法の一部を改正する法律案」に対する附帯決議
1.政府は、本法の施行にあたり、次の事項について、所要の措置を講ずるべきである。
2.地方公共団体が条例又は指導要綱等で定める建築計画の事前公開、事前協議等については、当該地方公共団体の自主性に十分配慮すること、
3.日照紛争解決のため、相談、あっせん等に努めるよう地方公共団体を指導すること。
4.風害、騒音、電波障害等についても有効な防止策の検討をすすめるとともに、日影規制と関係のある用途地域の検討を行う等、都市における良好な居住環境を碓保するため、諸般の施策を強力に推進すること。
引用:昭和51年10月28日参議院建設員会 会議録を一部抜粋



こうした意見が出されていたんですね。



建設省は日影規制の施行に際し、この附帯決議に基づき、地方公共団体が相談やあっせん機関を開設し、事前公開などに関する指導要綱や条例を制定して、日照紛争解決に努めるよう十分な指導を行うことになりました。



元々、各行政庁が定めていた指導要綱はどうなったのでしょうか?



その多くは廃止または改正され、法に基づく規制範囲内で新たに条例や指導要綱を制定し施行されることになりました。
(参考文献:『だれにもわかる日影規制とその対策』 オーム社)
例えば、東京都中央区の指導要綱は昭和54年3月16日に施行されており、古くから作成されている行政庁もこの時期に施行されました。
引用:中央区中高層建築物の建築計画の事前公開等に関する指導要綱
当時の社会問題とは?





そもそも、日影規制や中高層条例、指導要綱が制定された背景には
どのような社会問題があったのでしょうか。



昭和40年代、特に高層建築物の建設が盛んだったため、
日照に関する紛争が多発していたようです。
文献には次のように記されています。
建築物の建設によって、隣家の日照が奪われたという訴えは、昭和35年頃から目立ちはじめました。
昭和40年頃には、高層建築物の建設が盛んになるとともに、その訴えの件数は急激に増加しました。
マスコミも、日照権という新しい言葉でこれを紙面にとりあげ、さらに、これに刺激されて、日照紛争は社会面のトップ記事になるほど、大きな問題となってきました。
住宅地内にマンションが建つことになると、周辺の住民はこれに反対し、烈しい住民運動は、ときには流血の争いとなるまでに至ったこともありました。
引用:『だれにもわかる日影規制とその対策』 オーム社



当時、これは大きな社会問題だったんですね。
行政庁では、どのような対応が取られていたのでしょうか?



行政庁もこの問題を重視し、指導を行っていたようです。
文献には、次のような状況が記されています。
都・市・区などの地方公共団体では、日照確保の指導要綱や条例を制定して、建設者側を指導規制してきました。
ところが、各公共団体でまちまちな技術基準に拠っていたため、同じ建設条件のものでも、ある行政区域では合法になったり、他の行政区域では設計変更を強いられるというような、不合理・不公平な結果になるとの批判もおこりました。
そのうえ、建築基準法上合法であることを盾にとって、公共団体の行政指導に従わない建設者も現われるに至り、行政との間に争いが生じる始末で、ついには、建築確認を保留していた市長や区長を相手どって、裁判をおこす建設業者もあったりして、かなり混乱してきました。
引用:『だれにもわかる日影規制とその対策』 オーム社



結局、施工者と住民の間のトラブルだけでなく、施工者と行政とのトラブルにも発展したということですね。
指導要綱は強制力がないため、対応できる範囲に一定の限界があったんですね。



当時の建設省もこの問題を深刻に受け止め、
日影規制を建築基準法に盛り込む必要があると判断したようです。
建設省は、建設基準法を改正して、新しく日照基準を盛り込む必要があると判断し、昭和47年から日照基準専門委員会を構成して、日照の基準の具体化を検討しました。
そして、昭和48年8月に、同委員会は日照基準に関する答申を提出し、建設省はこれに基づいて建築基準法改正案を作成して国会に提出しました。
しかし、この改正案は直ちには成立するに至らず、結局、その一部が修正されて、提案時から2年8箇月後の昭和51年11月に国会を通過し、その1年後の昭和52年11月から全国的に施行されることになりました。
引用:『だれにもわかる日影規制とその対策』 オーム社



国会でも激論が交わされ、法案が通過するまでに非常に時間がかかりました。
現在では建築基準法の改正案は比較的迅速に成立することが多いですが、
当時はその成立に時間を要したため、大きな注目を浴び、慎重な審議が行われたことが伺えます。
余談ですが、第78回 参議院 建設委員会 第5号 昭和51年10月28日 会議録P.5によると、昭和49年の日照紛争は全国で1万件あったようです。
当時の日影規制の指導要綱とは?



当時の日影規制の指導要綱について、過去の文献を調べました
日照阻害を対象とした住民運動が各地で発生し、各地方公共団体が法律あるいは条例に基づかない「指導要綱」を作成し対処する例が多かった。
その内容は、 建築される建物の高さの1.5~2倍の範囲内の建築物の所有者、居住者の建築に対する同意を求めさせるという内容のものが多く、規制の内容を数値的に示したものは少なかった。
そのため、日照について直接被害をうけない南側の関係者も含まれ、又,高層建築物に対する不快感や圧迫感から同意を感情的に断わる事例も少なくなかった。
このため、建築基準法上合法的であっても同意を得ることが困難となり、金銭補償による解決や裁判所に工事着手の禁止を求める訴訟が起こされたり、建築主と付近住民との紛争が各地に続出してきた。
引用:「建築法規の変遷とその背景 明治から現在まで」 鹿島出版会



同意を求めることは、現在の視点から考えると信じがたいことです。
同意するメリットがなければ、同意しないのが自然な感情かもしれません。



同意制度を指導要綱で定めた結果、金銭補償や裁判という解決手段が主流となり、紛争が続出しました。
そもそも日照問題の発端は、昭和39年の第一次マンションブームと、昭和45年の絶対高さ制限の廃止に伴い容積規制が導入されたことが要因となったようです。
行政に携わった経験を踏まえて



日影規制が法律に組み込まれたことで、当時の紛争は解決したのでしょうか?



もちろん一定の効果はあり、行政側や設計者側からも日影規制の制定は歓迎されていました。
しかし、日照権を主張する一部の住民は、
「日影規制が住民の同意方式を採用していないこと」や、「数棟の建築物が周囲に建設された際の複合日影への配慮が不足していること」などを理由に、この改正に反対していたようです。



日影規制が制定される前は、行政庁独自で対応はしていたのでしょうか。



例えば東京都では、最高限度高度地区を定めていたようです。
文献には次の説明があります。
東京都では、
最高限度高度地区は、日照問題を始めとする相隣対策として、昭和38年に 23区内の住居専用地区を主として指定されたが、昭和48年新用途地域地区の指定の際に、改正され、更に昭和58年に現在の高度地区が指定されている。
高度地区は、地区の特性に応じて第1種高度地区,第2種高度地区及び第3種高度地区に別れて最高限度の高度地区が指定されている。
引用:改訂3版 わかりやすい建築基準法 足利温司 著



日影規制の改正法は昭和52年11月に施行されています。
しかし、東京都は日影条例を昭和53年7月に公布しています。
なぜ日影規制と日影条例の施行時期に差が生じたのでしょうか?
社会問題になっているなら、すぐに日影条例を公布すべきだったのでは。



文献には次の説明文があります。
東京都では、日影規制以前に1971(昭和46) 年の武蔵野市の中高層建築物の指導要綱などが先行していたことや市民団体による日照確保の条例制定直接請求などの経緯があり、直ちに基準法に基づく日影条例を導入したわけではなく、新用途地域を1973(昭和48)年に指定した際に導入した高度地区と併用するかたちで1978(昭和53) 年7月に日影条例を公布した。
引用:「日本近代建築法制の100年 市街地建築物法から建築基準法まで」P.371
※北側斜線制限は日照の確保でみると、住宅の既成市街では十分とは言えなかったため、東京都は高度地区を活用して北側斜線制限をさらに厳しくした(P.495)
まとめ
日影規制の法律成立時に、参議院から「作成に努めるよう」という意見があった
昭和40年代に高層建築物が増加し、それに伴い日照紛争が大きな社会問題となっていた
元政令市職員(行政庁) × 確認検査機関の経験者である一級建築士・建築基準適合判定資格者。
建築基準法を中心に、関連する行政法や民法の仕組みも含めて、横断的にわかりやすく解説しています。
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