
昭和の建物には違反が多かったって本当?
なんでそんなことに?
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昭和45年ごろ、建築確認の件数は約90万件
そのうち違反は約4万件
さらに確認を取らずに建てた件数が20万件もあった
(無確認で建築)
背景には、当時建蔽率の基準が厳しすぎたことが要因の一つであった
※文献によると、当時は違反や無確認建築が現在より多く見られ、その背景には当時の社会状況・制度の問題があったとされています。



この記事の最後に、これまで行政の現場で携わった経験から得た学びや気づきを紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。
この記事を書いた人


元政令市職員(行政庁) × 確認検査機関の経験者である一級建築士・建築基準適合判定資格者。
建築基準法を中心に、関連する行政法や民法の仕組みも含めて、横断的にわかりやすく解説しています。
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昭和45年ごろの違反建築物の件数は?
昭和45年ごろ、確認の件数90万件・うち違反したものが4万件であった
さらに、無確認の建築が驚異の20万件
引用:「建築法規の変遷とその背景 明治から現在まで」 鹿島出版会 から件数を引用



この違反件数、非常に多いですね。
今の感覚だと考えられません。
「昔は完了検査を受けない人も多かった」とは聞きますが、それどころじゃないですね。



数字だけを見ると現在と大きく状況が異なることがわかります。
しかしながら、当時の社会状況と、厳しすぎた法規が関係してたようです。
社会状況と法規の概要



当時って、土地が高くなってたんですか?



高度経済成長期だったから、土地の値上がりは避けられなかったようです。
また、上がり方が急だったので一般の人にはかなり厳しい上昇だったようです。
昭和の建蔽率ってどう決めてた?


昭和25年〜45年頃の建蔽率は、
「敷地面積−30㎡」×60%で計算されていた
たとえば、100㎡の土地なら
100−30=70㎡、70×0.6=42㎡
つまり、建ててよい建築面積は面積はたったの42㎡まで



60%っていう制限は納得できますけど、どんな土地でも30㎡引かれるって不思議です



今では考えられませんが、当時は一律で30㎡引いていました。
過小宅地によるスプロール防止の役割もあったようです。
ただし、そのせいで逆に建蔽率違反が大量に発生したようです。



60㎡の土地を買っても、30㎡引かれたらほとんど何も建てられないです。



特に都市部では、このルールを守ることが難しかったようです。
それでも家は必要だったし、土地も高い…。
成長真っ只中の時代背景が、違反を招いたようです。
今の感覚だと信じられませんが、当時は当時で必死だったと容易に推測できます。



30㎡を一律で引く理由をもう少し詳しく知りたいです。



文献には次のような説明があります
これは住宅の大小にかかわらずその周囲に日照や消防上必要な一定の空地を確保するためには、この方が合理的だという考えによるもので、市街地の共同建築化を促進するためには、大敷地ほど有利な方式が良い、という意見が寄せられていたので、このアイディアを借用したのである
引用:「日本近代建築法制の100年 市街地建築物法から建築基準法まで」P.250



昭和45年ごろの建蔽率の上限を今も公開している行政庁(横浜市)を紹介します。
引用:横浜市「~昭和48年12月24日以前の建築物の形態制限」
行政に携わった経験を踏まえて



今も違反建築ってあるんですか?



今は違反建築はかなり減っています。
たとえば、無確認で新築するケースは昔に比べて激減しています。
ただし、市街化調整区域では無確認や無許可の建築が一定数あると聞いたことがあります。
よくある違反の事例としては、
無確認での増築
既存工場の用途違反(事業拡大によるもの)
検査済証の取得後に2項道路のセットバック内に塀を築造
屋上に無断で物置を設置する
といったものが、今でも定期的に発生しているようです
まとめ
昭和45年ごろ、確認の件数90万件・うち違反したものが4万件であった
さらに、無確認の建築が20万件
当時は建蔽率が厳しすぎたのが要因
元政令市職員(行政庁) × 確認検査機関の経験者である一級建築士・建築基準適合判定資格者。
建築基準法を中心に、関連する行政法や民法の仕組みも含めて、横断的にわかりやすく解説しています。
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